2021年に開催された東京オリンピック2020。男子サッカー日本代表は、惜しくも3位決定戦でメキシコ代表に敗れて、メダルを獲得することができませんでした。日本中のサッカーファンが悲しみに暮れたのを覚えております。
当時そのメキシコ代表チームを率いていたのが、メキシコ人監督ハイメ・ロサーノさんです。
コーチとして帯同していた日本人の西村亮太さんの方が話題になっていたりしましたが、今回はその謎に包まれたハイメ・ロサーノさんの経歴や素顔に迫っていきたいと思います。
プロデビューから現役引退まで
ハイメ・ロサーノ(メキシコでの通称:ジミー)さんは、1978年9月29日にメキシコで生まれ、1998年の当時20歳の時にプマス(Pumas)というメキシコリーグのチームで華々しくプロデビュー。ポジションはミッドフィルダー。

しかしながら、デビュー後は苦難の日々を過ごし、2001年にFCセラヤという別チームに移籍しましたが、あまり出場機会に恵まれることはなく、2002年に再びプマスに復帰。復帰してからは好調で、メキシコリーグのチャンピオンに2回輝くなど好成績を残しましたが、契約更新がうまくいかず、フリーでチームを離れることに。
その後、ティグレス(Tigres)という別チームに移籍し2年間を過ごした後、クルス・アスール(Cruz Azul)、モレーリア(Morelia)とクラブを転々とし、再び2012年にプマスに戻り、2013年に現役としてのキャリアを終えます。
プロデビュー当初の2000年〜2007年は、メキシコ代表としても何度も招集され、2006年のドイツワールドカップのメンバーとしても期待されていましたが、予選中に怪我を繰り返し、残念ながら最終メンバーに選ばれることはありませんでした。

監督としてのセカンドキャリアの開始
現役生活終了後は、メキシコシティにある指導者養成学校に通い、監督としてのライセンスを取得。メキシコ代表としての経験もあり、ケレタロというプロサッカーチームのU-20の監督に就任することができました。のちにトップチームの監督に昇格しています。

運命的な出会い
U-20の監督を務めていた時代に、サントス・ラグーナというチームのU-20との試合で、敵チームのコーチを務めていた西村亮太さんと再開。西村さんは、あの東京オリンピックで分析担当としてロサーノさんの補佐をしていた日本人スタッフの方です。

西村さんとは育成学校のクラスメートで、学校ではそこまで話したことがありませんでしたが、何度か会う内に意気投合。新たなチャンスを欲していた西村さんをケレタロに迎え入れ、ケレタロのトップチームの監督へと昇格した際に西村さんをコーチとして採用しました。
ケレタロでは結果が思うように残せず1年足らずで失職となってしまいましたが、晩年、ロサーノさんの元に東京オリンピックのメキシコ代表監督の話が舞い込んできていました。西村さんと一緒にプランを練り、協会側にプレゼンテーションを行い、合否の結果を待ちました。
ロサーノさんは候補者の1人に過ぎず、採用の通知が届くまで約1年ほど時間がかかりましたが、2018年12月に晴れてオリンピック代表監督に就任。もちろん西村さんをコーチとして迎えました。
代表監督としての成績
U-23の代表監督就任後、2019年トゥーロン国際大会では、3-3のスコアレスドローで迎えた延長戦に劇的なPKで4-3で勝利し、第3位となりました。
続く、パンアメリカン競技大会では、3位決定戦でウルグアイを1-0で下し銅メダルを獲得。
そして、皆様ご存知の通り、東京オリンピックの3位決定戦で日本を下し、同じく銅メダルを獲得。毎度国際大会で3位以上という好成績を残しつつも、オリンピック終了と共に、2021年8月、U-23の代表監督としての任期を終えました。

これからのキャリア
ロサーノさんの今後のキャリアに関しては、2021年現在、様々な噂が飛び交っています。メキシコリーグのどこかのチームの監督をするのではないか、またはU-23世代ではなく、今度はトップチームの代表監督をするのではないか。
最近では、Jリーグの監督を勤めるのではないかといった噂までされています。

西村さんと再びタッグを組んで、Jリーグの監督、そして将来的に日本代表の監督になったりしたら非常に面白いですね。
ロサーノさんからはまだまだ目が離せません。
これからも動向を追っていこうと思います。
最後までお読みいただきありがとうございます。
追記:2022年6月1日
オリンピック後の動向が未定のままだったロサーノさんですが、2022年2月からメキシコの1部リーグ(リーガMX)に所属するクルブ・ネカクサ(CLUB NECAXA)というチームのテクニカルコーチに就任しています。相棒の西村さんは、同チームのアシスタントコーチとなっています。